利己主義っていったい、、、
2019年4月30日 こんにちは。
令和施行と同時に21歳になる吉田です。
今回は、前のブログに続き哲学の話をします。
前回のブログで「利己主義」についてどう思うのか、「利己主義」は正しいのか、正しいとするなら道徳や倫理わ??っていう感じで、
マーク・トウェインの「 人間とは何か」を読んでその感想を書きました。
そして、その考えをグループで話し合い、質問し合い、最終的に「利己主義」は正しいのかを発表までしました。
その前に、教育開発支援機構の須長先生(哲学の先生)から哲学を考える上でのお話をしてくださいました。
・普段から問いを立てる
哲学を学ぶにあたって問いを立てることは鉄則中の鉄則!!
何でこれってこういう風になるんだろう?とか、これってこう言う事なのかなぁ??とか、当たり前のことだと思っていることを疑うことがとても大切
知識や価値観は、持ってれば持ってるほど自分の自信としてとてもよいが、一旦インプットしてしまうと、それにしか見えなくなると言う現象が起きてしまいます。と言うことは、知識や価値観は時として、問いを立てるのを難しくしてしまう要素にもなってしまいます。
知識を土台とし、分解、分解、分解、して問いを抜き出す
例をあげると、
お年寄りたちは長く生きている分たくさんの知恵や知識を持っています。なので、問いを立てることもなくなってきます。逆にこの世に誕生してまだ2〜3年のピチピチちゃん達は、常にはてなマーク(?)がつくことばっかり話してきます。
ピチピチちゃん「空は何で青いの〜〜??何でお花って咲くの〜〜??」
中学時代、児童館にボランティアに参加した際に学童生のピチピチちゃん達からこのはてな攻撃を受けて非常に困ったことを思い出しました。
問いを立てることに関しては、ピチピチちゃん達の方が優れているのかもしれませんね。
それと、当たり前だと思っていることを疑う行為は、昨年、菅さんの「未来デザインネクスト」でデザインを考える際に大切なこととして、
【違った角度で見てみる】と言うことをおっしゃっていました。
普段とは違う道で帰ってみるだったり、いつもとは違うやり方でやってみたりすることで、新たな発見を見つけることができると言うことを思い出しました。
私は今回のグループディスカッションでもちょっと違った角度で考えてみるように意識してみました。
私たちのグループはこんな感じになりました。(木戸ちゃんがグラレコしてくれました)
私もみさきちゃんも読んだときは、「あ〜そうだよなぁ」と思い、老人に対してとても共感しました。
でも、命がけで助けるって行為は身内だからじゃないの??家族や身内に対しては利己主義って働かなくない?ってなりました。
別のグループの発表にもありましたが、利己主義が正しいとすると、「愛」ってどうなるの??となります。
身内に関しては自分のためというよりは意志で動いているんじゃないかという風になりました。
先に結論から言うと、私たちグループは利己主義が正しいのかどうか分からないと言う結論に至りました。
ですが、《説》を用いて考えたりして、「こう言うことなんじゃないか」と言う感じで話を進めていくと、
・信頼が上がっていくにつれ、利己主義が利他主義に変化していくんじゃないか
・道徳や倫理を身につけてた上で利己主義として振る舞う=結果それが利他主義になるんじゃないか(利己主義の中に利他主義)
といった感じで考えがまとまりました。
ですが、結論まではいくら考えてもわかりませんでした。
須長先生は、
・結論を急がない
苦しいけど粘って粘って考える
とおっしゃってましたが何だか結論がないと苦しいし、もやもやしてて気持ち悪いです。
しかも、最初にやろうと思っていた、「違った角度で考えてみる」作戦も不発のまま終わってしまいました。
まっすぐで考えるのも難しいのに、斜めで考えるのはもっと難しい、、、。
ちょっと悔しい感じに終わってしまいました。
今回、普段意識してなかったことを訳分かんなくなるくらい考えること(疑問を持ち考える)が自分の視野を広げることに繋がるということが分かりました。
モヤモヤっとしたけど、そのモヤモヤも悪くないなぁ〜って思いました。
でわまた。